2023年度 第四回70周年記念講話のご報告

 少し時間が経ってしまいましたが、9月1日(金)に、第四回70周年記念講話『ひきこもるということ〜失われた私との出会い・芹澤俊介さんを偲んで〜』を行いました。多くの人が直面したことのあるひきこもりについて、その社会的な背景や問題、ひきこもりのプロセスについてなど、様々な視点で考えさせられる学びの深い時間となりました。今回の講話に参加された方々も、自身の経験と照らし合わせながら聞いている様子で、途中涙を流されたり、深く頷いたりしながら話しに聴き入っているようでした。
 不登校やひきこもりという言葉には、様々なマイナスイメージがついているように思います。社会や人との繋がりがなくなってしまう、働くことができない、最悪の場合犯罪につながるのでは、などが挙げられます。しかし実際には、ひきこもりの人とそうでない人との自宅での過ごし方はほとんど変わらないということや、過去にひきこもりの人が起こした犯罪の割合は全体の0.2%にも満たないこと等、データとして提示されたとき、私たちの抱いているイメージが正しくないということがよくわかりました。そして改めてひきこもりについて、その社会的な背景やこれまでの流れに焦点を当てていきました。高度に成長した資本主義社会の中で大人の求められるままにいい子を生きること、教育家族や高学歴化、成人年齢の引き下げによるモラトリアムの消滅など、自己と向き合う時間は減少し、そこに『ある』ことより『する』『できる』を子どもたちは求められるようになります。受けとめられ体験の不足や、安心して安定的に自分でいられる居場所を感じられない、自分らしさを奪われてしまう、そういったことが人が引きこもる理由と推測されるとあり、個々人の問題ではなくその背景も踏まえて向き合っていかなければいけないのだと感じました。
 講話の後半ではひきこもりのプロセスについて、往路、滞在期、帰路を紹介し、特に往路について例を挙げながら丁寧に説明していきました。生徒と日々接していると、子どもの表れに戸惑い不安を抱えることがあります。行きたくない、休みたい、という言葉の背景にどんな想いが隠れているのか、その状態がいつまで続くのか、心配から様々な働きかけをしますが、改めてひきこもりや不登校の根底にあるもの、そして『する』『できる』ではなく『ある』が大切ということを踏まえて、生徒たちと向き合っていきたいと思いました。講話の結びに、こうあるべきではなくその子らしさに添っていく、その子が勝手に歩んでいけることをサポートしていくということ、安心感からくる子どもの笑顔をたくさん見ていきたいなどの話がありました。また、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』の紹介とともに、愛をもって生徒たちと関わっていくとのお話もあり、子どもと関わっていく原点として改めて心に留めておきたいと思いました。時間の都合上、全ての内容に触れることができなかったため、続きの内容を紹介できる機会をまた作れたらと思います。今回の講話も、参加した方々の心が受けとめられるような、あたたかな時間となりました。
 なお会のはじめと終わりに、7月29日の様子を写したスライドショーを流しました。そのスライドには生徒、職員だけでなく、在校生保護者や卒業生、卒業生保護者、学校に携わってくださっている方々など、様々な人の笑顔が写されており、改めて多くの人との繋がりでここ島実は守られているのだと感じました。今後もいろんな人と手をつなぎながら、ここ島実が多くの人の安心できる居場所となっていったら嬉しいです。今回参加してくださったみなさん、また様々な形で応援してくださったみなさん、本当にありがとうございました。






















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